d-d-hの由来と、三浦春馬さんのこと。

d-d-h  の由来から。

 

公開されるIDとのことで。

ネーミングセンスは全くないけれど、

誰でも(d)大好き(d)ハッピー(h)、の略。なんとなく。

なんでハッピーだけ英語?それも適当。

 

実際のところは、

コミュ症気味、

団体行動不適格、

一人が気楽、

めちゃくちゃハッピーかというとどうだろう・・・ってな状態ですが。

 

ここ数か月のコロナ禍で、いろいろ疲れてしまうことがあり、

キラキラ輝いていそうな人、

エネルギッシュな人、

前向きな人

に背を向けてしまうところがありました。

 

そんな中での、三浦春馬さんの件。

 

熱狂的なファンだったわけではないですが、

14才の母

ブラッディマンデイ

をリアルタイムで見て知り、ラスト♡シンデレラもいろいろ妄想しつつ?楽しんで見ていました。

 

こんなキラキラしていて性格もよさそうな王子様が目の前にあらわれたら、

コロナ自粛期から、開けた後の疲労期(令和2年3月から6月)の私だったら、

キャーッとなるよりも、

 

(自分が感じる)自分との精神的立ち位置?の違いに、卑下した自分を隠せず目を背けてしまっていたように思います・・・

 

って、実際に目の前に現れようもないのですが。

 

そして、こんななんでも持っているパーフェクトな人だったら、何物でもない凡人の私一人がいけすかない態度をとったところで、

 

屁でもない、

いやいや、なんのダメージもくらわないだろう、

と、自分の行動を正当化してしまっていそうです。

 

なんて、すべて妄想の世界なのですが。

 

実際、私の目の前に三浦春馬さんは訪れませんでしたが、

そんな風に周りを思いやれない心境で、多少の人間関係が切れても仕方がない、と、

ふさぎ込んでしまっていた数か月でした。

 

今でこそ、会うこともなかった三浦春馬さんに、

ただの凡人の私でも何かできることはなかったのかな、

前向きな応援メッセージをSNSなどで投稿することでも、

ほんの少しの生きる力にならなかったかな、などと、おこがましくも考えてしまいます。

 

私は普段誰かと会話をすることが少ないこともあり、

あるニュースについての誰かの考えを知りたくて、

間接的な人との交流を求めているのか、

書き込みはせずともついついヤフコメ欄をながめてしまう、

(あまりよくない?)習性があるのですが、

 

三浦春馬さんの件のコメントについては、

 

「特にファンだったわけではないですが」

 

などという前置きの後に、残念な気持ちが多々書き綴られていました。

 

ファンの方は、ヤフコメなどに書き込むことはあまりないのでしょう。

悲しんでいらっしゃって当然です。

 

でも、特にファンだったわけではない方々にとっては、

きっと、当たり前にキラキラして、芸能界から私たちを楽しませてくれる存在だったので、

心にぽっかりと穴があいたような感じになってしまったのではないでしょうか。

 

自殺というワードからははるかに遠い世界に存在しているような人だと思っていた人が

ほとんどではないでしょうか。

 

本当に、衝撃をうけました。

トップ記事に出るなら結婚とかじゃないの?って・・・

 

すごくすごく残念です、とともに、

 

「強く見える人が、本当に強いわけではない」

 

「なにもかも持っているように見える人が、本当に何もかも持っているわけではない」

 

「いつも笑顔の人が、悩み事がないわけでも、常にハッピーなわけでもない」

 

「キラキラして見える人が、悲しみを一切抱えていないわけではない」

 

「見た目で人を判断し、勝手にねたんだりひがんだりしてはいけない」

 

いろいろと、考えることがありました。

 

日頃ブレブレな心をもつ私ですが、

少しでも人にやさしく生きていきたいなと思いました・・・

(とはいえ、実際のコミュ症加減はなかなか改善が難しいですが)

少しずつ、少しずつ。

 

三浦春馬さんのご冥福を心よりお祈りいたします。