スーパーの、小さな透明ビニール袋について思うこと

コロナ禍で、スーパーマーケットの商品収納台から、台拭きやら濡れスポンジが消えてしまった。

 

感染防止対策が必要なのは、よくわかる。

 

でも、おばちゃんにとっては、つらい現実がある。

 

それは。

 

指先に油分がたりない。

手がカサカサで、ビニール袋があけられない・・・

 

 

対策①!

両手の平で袋の入り口部分をはさんで、こすって静電気をおこしてあける。

 

対策②!

購入した牛乳や、冷凍食品や、肉魚のパックなどについた水気を探して指先にとり、

その湿り気があるうちにビニールの口をひたすらあけていく。

 

ほかになにかいいアイデアはないだろうか。

 

・・・指をなめる以外で(なんか昔のおじさんみたいだし、汚いし)。

 

子供を連れて行って、開けてもらうってのはいいね。

別の手間(おやつかってだとか)があるけれど。

 

 

 

つれづれなるままに、からの

徒然草吉田兼好

 

学生時代に、冒頭の文を暗記して、作者を覚えたものだった。

逆にいうと、いまだに、冒頭の文しか知らない。

 

つれづれなるままに、日暮し

硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、

あやしうこそものぐるほしけれ

 

意味もよくわかっていなかった。

 

先日、子供の習い事での課題で、この冒頭文を暗唱するという課題があり、

意味を改めて調べてみた。

 

・・・吉田兼好時代の硯が、パソコンに、ディスプレイに。

 

そこはかとなく、指をキーボードに打ちつけていれば、

なんだか取りつかれたように熱中してしまう。

 

カタカタカタ。

エンターキー。

エンターキー。

 

F7キーでカタカナ変換。

デリートキー。

デリートキー。

・・・

 

 

ブログっておもしろい(現状、ただの吐き出しですが)

 

でも、私の場合は、三日坊主だからなぁ。

熱中できるかな。

執筆みたいに終わりもないから途中で飽きてしまうかな。

 

そういや学生時代、エッセイストに憧れていたことを思い出した。

漫画家のさくらももこさんのエッセイ、大好きだったな。

他にも、いろんな作家さん・・・

 

また思い出したら、なつかしの作家さんについて書いてみよう。

 

あ、作詞家に憧れていたこともあったなぁ。

作詞しちゃったりしたこともあったな。

遠い思い出。

 

 

末端冷え症から思うこと

夏場にエアコンを入れると、足の先から冷えてくる。

 

冬に出かけると、足先手先も冷えてくるけれど、なにより一番つらいのは耳。

でも、雪もめったに降らない地域に住んでいて、イヤーマフ(耳あて)するのもねぇ。

いや、持ってはいるのですよ。

 

とはいえ、自転車に乗ったりすると、風パワーにやられて耳は切れそうにいたくなる。

 

冬の自転車って、末端やられるね。

ノー手袋だと、手先も厳しい。

が、

つけたりはずしたりしていると、手袋、すぐどっかいってしまう。

 

ので、

自転車には、ハンドカバーつけてます。

おばちゃんやって?でも、いいねん。

これやったらなくさへんし。

 

耳はなぁ・・・。

イヤーマフすることもあるし、耳あて付きの帽子をかぶることもある。

 

でも、つけたりはずしたりって小物だとやっぱり面倒なんだな、なくしやすいし邪魔になったり。

 

マフラーと一体型のイアーマフはどうだろう。

コートと一体型のイアーマフはどうだろう。

マフラーやコートだったら、イヤーマフや帽子よりも冬の必需品だし。

それでも、肩がこるといやなのよね。だから軽いもので、しっかり耳をあたためられる形状のもの。

イヤーマフから音楽が流れてきたらどうだろう。

ヘッドホンの軽いバージョンで、耳もあったかく覆ってくれるみたいな。

 

・・・主婦の生活の知恵的に、特許とれないかな?!

 

夏のエアコンによる足の冷えからの、脱線でした。

 

 

d-d-hの由来と、三浦春馬さんのこと。

d-d-h  の由来から。

 

公開されるIDとのことで。

ネーミングセンスは全くないけれど、

誰でも(d)大好き(d)ハッピー(h)、の略。なんとなく。

なんでハッピーだけ英語?それも適当。

 

実際のところは、

コミュ症気味、

団体行動不適格、

一人が気楽、

めちゃくちゃハッピーかというとどうだろう・・・ってな状態ですが。

 

ここ数か月のコロナ禍で、いろいろ疲れてしまうことがあり、

キラキラ輝いていそうな人、

エネルギッシュな人、

前向きな人

に背を向けてしまうところがありました。

 

そんな中での、三浦春馬さんの件。

 

熱狂的なファンだったわけではないですが、

14才の母

ブラッディマンデイ

をリアルタイムで見て知り、ラスト♡シンデレラもいろいろ妄想しつつ?楽しんで見ていました。

 

こんなキラキラしていて性格もよさそうな王子様が目の前にあらわれたら、

コロナ自粛期から、開けた後の疲労期(令和2年3月から6月)の私だったら、

キャーッとなるよりも、

 

(自分が感じる)自分との精神的立ち位置?の違いに、卑下した自分を隠せず目を背けてしまっていたように思います・・・

 

って、実際に目の前に現れようもないのですが。

 

そして、こんななんでも持っているパーフェクトな人だったら、何物でもない凡人の私一人がいけすかない態度をとったところで、

 

屁でもない、

いやいや、なんのダメージもくらわないだろう、

と、自分の行動を正当化してしまっていそうです。

 

なんて、すべて妄想の世界なのですが。

 

実際、私の目の前に三浦春馬さんは訪れませんでしたが、

そんな風に周りを思いやれない心境で、多少の人間関係が切れても仕方がない、と、

ふさぎ込んでしまっていた数か月でした。

 

今でこそ、会うこともなかった三浦春馬さんに、

ただの凡人の私でも何かできることはなかったのかな、

前向きな応援メッセージをSNSなどで投稿することでも、

ほんの少しの生きる力にならなかったかな、などと、おこがましくも考えてしまいます。

 

私は普段誰かと会話をすることが少ないこともあり、

あるニュースについての誰かの考えを知りたくて、

間接的な人との交流を求めているのか、

書き込みはせずともついついヤフコメ欄をながめてしまう、

(あまりよくない?)習性があるのですが、

 

三浦春馬さんの件のコメントについては、

 

「特にファンだったわけではないですが」

 

などという前置きの後に、残念な気持ちが多々書き綴られていました。

 

ファンの方は、ヤフコメなどに書き込むことはあまりないのでしょう。

悲しんでいらっしゃって当然です。

 

でも、特にファンだったわけではない方々にとっては、

きっと、当たり前にキラキラして、芸能界から私たちを楽しませてくれる存在だったので、

心にぽっかりと穴があいたような感じになってしまったのではないでしょうか。

 

自殺というワードからははるかに遠い世界に存在しているような人だと思っていた人が

ほとんどではないでしょうか。

 

本当に、衝撃をうけました。

トップ記事に出るなら結婚とかじゃないの?って・・・

 

すごくすごく残念です、とともに、

 

「強く見える人が、本当に強いわけではない」

 

「なにもかも持っているように見える人が、本当に何もかも持っているわけではない」

 

「いつも笑顔の人が、悩み事がないわけでも、常にハッピーなわけでもない」

 

「キラキラして見える人が、悲しみを一切抱えていないわけではない」

 

「見た目で人を判断し、勝手にねたんだりひがんだりしてはいけない」

 

いろいろと、考えることがありました。

 

日頃ブレブレな心をもつ私ですが、

少しでも人にやさしく生きていきたいなと思いました・・・

(とはいえ、実際のコミュ症加減はなかなか改善が難しいですが)

少しずつ、少しずつ。

 

三浦春馬さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

本日より・・・

本日より、ブログを書いていきます。

 

いつかは収益化できるブログを・・・と夢を見てはいたけれど、コンピュータならではの

カタカナ用語がどうにも頭に入ってきにくい。

 

まずは、頭の中にあるいろいろな考えをはきだしていきながら、自分にあったやり方を考えて

いこうと思います!

 

書く内容は全く統一感のない、ばらばらなものになるかと。